2015年4月27日月曜日

第2回:観客ゼロでも電気ガス水道止められても音楽をやめないレゲエDJ

身近な人の生きざま論、第2回目はレゲエDJタクチャまん氏。
彼はズバリ、何が起きても絶対に音楽をやめない男である。
ちなみに真冬でもお構いなしに1年中短パンというファッションポリシーがある。



観客がゼロでも、音楽ビジネスの黒い部分を経験しても、そして電気ガス水道が止められても、絶対に音楽をやめない。
なぜ絶望しないのか、なぜ続けようと思えるのか。
今回はそんなアツいレゲエDJ、タクチャまん氏の生きざま論に迫ってみます。

音楽について悩む人や、やりたい事があるけど行動に踏み出せない人のヒントになればと思います。


〜忙しい人向けの、タクチャまん生きざま論3要点〜

「やったことがなくても、出来そうと感じたら「できる」と言え」
案ずるより産むが易し。悪い予測などせず「できるかも」と思えたらやる。未経験でも「できます」と言ってしまうのも時には大切。

「良い結果を得るにはクリーンに動くべき」
良いと思えないプロセスの先には悪い結果しか待っていない。クリーンに動けば自然と良い結果が生まれる。

「音楽は楽しい。楽しいからやり続けられるし、情熱が消えない」
普通の人なら音楽に絶望しそうな状況でも、情熱を持ち続けたタクチャまん氏。音楽が純粋に楽しいものであるという事を忘れなかったからこそ、絶望しなかった。


001/004:子供の頃から音楽が身近にあった

タクチャまん氏は1987年茨城生まれ。
祖母が日本舞踊の先生であったため、小さい頃は遊びで一緒に踊ることが多かったという。
「音楽に合わせて何かをするという環境に親しんでました」

ちなみに父親は趣味でジャズトランペットをやっている。
「正直言って、父親のトランペットは影響受けなかったですよ(笑)休日なんかに父がよくトランペットを吹いてたんですけど、遠くで眺めながら「あ〜やってるやってる」くらいの気持ちでした」

音楽に関しては、親などから影響を受けた訳ではないタクチャまん氏。
しかし、音楽が身近に存在していたこと、音楽に合わせて何かをするという経験や環境は幼少期から整っていた。

Q:音楽との人生最初の接点はある?
「小学3年の頃、あるドラムのフレーズが浮かんで、そのフレーズの叩く速度を変えればどんな音楽にも合うと発見したんです」
Q:それって、単にBPMというかドラムフレーズのテンポを変えただけでは?
「その通りなんです(笑)でも当時子供だったから「おお、すげえ!」って感じでそれが大発見のように思えたんですよ。テレビの音楽番組の曲に合わせて、膝でリズム叩いたりしてました。この経験が、人生で最初の音楽の接点な気がします」


002 / 004:音楽へ入り込んだ学生時代
彼が小学4年の頃に地域の夏祭りで和太鼓を叩いた。そのときの心臓の鼓動と直接繋がるような音や雰囲気に魅了されたという。
「泥臭いというか、道端から始まる音楽というか。原始的な感じが気に入りました」
形式に則った音楽よりも、泥臭い音楽が好きだという。音楽でみんなを盛り上げたいという思いがこの頃から芽生えた。

「音楽って誤解を恐れずに言えばドラッグだと思います。音楽にはアッパー(盛り上げる音楽)とダウナー(盛り下げる音楽)があるんですが、使い方次第で人の気分を上げたり下げたりできる。こんな事できるからこそ、音楽はドラッグのように感じるんです」

「個人的にアッパーの方が好き。冒頭の日本舞踊の話でもあるけど、僕は音楽に合わせて何かをすることが好きなので、盛り上げるアッパーのほうが皆と一緒の気分になれる。ちなみにジャズはダウナーなものが多いと感じてます。そのせいか父親のジャズトランペットには影響受けなかったんですよね」

SOPHIAの「黒いブーツ〜oh my friend〜」(1998年発売)からJ-POPをよく聴き始め、安室奈美恵や小室哲哉など主に当時流行していたダンスミュージックとポップスをミックスさせた音楽を好んで聞くようになった。DragonAshを機会にラップが気になるようになり、三木道三を契機にレゲエ好きになる。それらの経験を入り口に、ジャンルを絞らない様々な音楽を聴き始める。その影響というわけではないが、中学高校はポップミュージックとは程遠い、吹奏楽部に所属していた。

Q:吹奏楽部では楽器は?
「トランペットです」
Q:あれ?父親のジャズトランペットの影響受けてますよね?
「いや、自分の中では親父と息子は反発しあう関係だと持論を持ってるんですよ」
Q:じゃあなぜトランペットを?
「本当はサックスがやりたかった。けど、上手く吹けなかった(笑)。なんだかんだで父親のトランペット吹いて育ってたから、吹奏楽の先輩に「吹けるならトランペットやれ」と言われたんです」

▲高校では吹奏楽をやるつもりは無かったが、このような経緯(脅迫?)で入部した。
ハートカクテル風にマンガ化。わたせせいぞう先生ごめんなさい!

高校時代も吹奏楽部だったが、入部してもいないのに部室に入り浸っていたら同期の女子部員に「いつも部室にいるけど、部活に入るのか入らねえのかハッキリしろ!」と怒られてしまった。そのため入部したという。タクチャまん氏本人はあまり入部に乗り気では無かった。形式張った音楽には興味を持てなかったのである。

「それでも野球応援の演奏は楽しかったですよ。アッパーというか盛り上げる音楽でしたから。あと、可愛いチアガールの女の子を間近で見られるのも最高でしたよアハハハ」


高校2年の頃には友人が設立した軽音楽部に入部。もし高校入学時に軽音楽部があれば吹奏楽部には入部していなかったという。

軽音楽部ではドラムを担当した。部員に「ドラムはできるか?」と聞かれ、ドラム経験が無いにも関わらず「できる」と即答した。なぜ、嘘をついたのか。それは根拠の無い自信だった。吹奏楽部でパーカッションのドラムを見た感想として「自分でもできる」と感じたのである。


003 / 004:レゲエDJとして活動するも屈辱の観客ゼロ→長野での大成功体験

やがて千葉の大学へ進学したタクチャまん氏。大学でも軽音楽を続けていたが、人間一人につき1つの楽器しか奏でられない軽音楽よりも一人でたくさんの音楽を演奏できるDJに興味が移り、大学1年の秋に軽音楽部を退部。
また、大学の同期だったTea氏に誘われてレゲエユニットSpectacle Lamp(以下SPL表記)に加入。成人式イベントや千葉のクラブなどで本格的にレゲエDJ活動を行う。ちなみにDJをはじめた理由はTea氏が先にDJ活動をしており、彼を見て「自分にもできる」と思ったそうである。

そして悲劇を体験する。
「千葉のクラブの出はじめの頃、お客さんの会場内出入り自由のクラブでSPLとしてプレイさせて貰ったんです。DJがTeaくんで僕がMCで。会場には20人くらい居たのに、僕らがレゲエを流した途端みんな外に出てっちゃったんですよ。観客誰も居なくなっちゃいました」
当時タクチャまん氏やTea氏の技術が未熟であり、なおかつあまり有名ではないレゲエ曲ばかり流したのが原因だった。
「プレイ後、コンビニで反省会やったんですけど、二人とも無言。Teaくん泣きそうでした」

Q:観客ゼロになった時どうしてた?
「演奏は続けてましたよ。MCの僕もずっと続けてた」
Q:むなしくならないの?
「そりゃそうだけど(笑)。まあ練習の場だと思ってやってましたよ。僕は」

この経験でお客さんを飽きさせない工夫の大切さを学んだタクチャまん氏。
レゲエDJであっても、有名な曲やディスコソングなどジャンルに拘らないスタイルになっていった。一度ノッた客を逃さないようにするための彼なりの工夫である。

▲Spectacle Lamp(2008年撮影)左から、タクチャまん(RiddimMaker/Sel/MC)、Acky(Sel/MC)、Marchin(Sel)、Tea(Sel/MC)

ちなみにSPLは双子のAcky氏とTea氏によって静岡で2006年に結成。翌年にはMarchin氏が加入。その後彼等の大学進学に伴いAcky氏は信州松本で、Tea氏は千葉で活動していた。そのため、Acky氏のホームグラウンドである松本のクラブへ遠征に行くことも度々あった。松本のクラブではSPLはクラブやイベントをいくつも大成功させるなど絶頂期を迎える。

「今も音楽を続ける理由はこの松本での成功経験です。最高に楽しかったし、忘れられない体験でした」


004 / 004:給与未払いにより電気ガス水道全停止。公園がお風呂がわりに。


大学卒業後は音楽事務所に就職。しかし彼はここで音楽業界の黒い部分を見ることになる。

「仕事内容は、ミュージシャンを目指す人にCD作りませんか?と持ちかける。で、すごく高いお金を請求する。プレスとかの現場作業は全部下請けに丸投げ。マージンを大量に取るビジネスでした」

音楽業界人は必ずしも音楽が好きな人とは限らなかった。タクチャまん氏が勤務していた会社は音楽への関心よりも利益優先の社員が数多くいた。経済活動において利益への配慮は当然大切だが、彼曰く、この音楽事務所は音楽に対する愛が少なく、さらに阿漕な商売方法であったという。事実、裁判沙汰になったり社長が突然蒸発して社内外の対応に追われるなど、散々な目に会った。
「結局、社長は戻ってきたんですけど、まあ大変だった。おまけに給料未払いがしょっちゅうあって、すごく貧乏でした」

Q:その当時はどんな暮らしぶりだった?
「お金が無いから、家賃はもちろん、電気ガス水道すべて滞納。そしたら見事に全部止められました」


Q:お風呂とかはどうしてたの?
「公園で済ましてました。歯ブラシとかシャンプー持って行って、公園の水道で洗う感じです。ある日の夜、いつものように公園で洗髪してたら高校生カップルが公園に来たんです。僕はといえば、不審者と間違えられたら嫌だから近くの茂みに隠れました。まあ、見つかりはしなかったんだけど、茂みから彼らを見てて涙が出たんですよ。二人がすごくキラキラしてたというか輝いて見えて。幸せそうな二人に対して、公園で洗髪する不幸な自分。とんでもなく自分が惨めに思えて、すごく悔しかったです」
壮絶である。

Q:そういえばご飯はどうしてたの?
「さすがに食費は確保してました。けど、基本お金ないから、自宅で家庭菜園してました。野菜は自分で育てたほうがスーパーで買うより安い。あと、土手とか行って食べられる野草を探して食べてましたね。桑の実とか普通に美味しいですよ」
もはや壮絶を乗り越えてサバイバルである。

結局、音楽事務所は退職し、地元の茨城に戻った。

Q:音楽事務所の嫌な経験で、音楽に絶望しなかったの?
「逆に自信になりましたよ。反面教師です。自分ならもっと上手くやれるぞという思いがありました。だって、事務所内で自分よりも音楽が好きな人が居なかったですから。音楽に対して真面目に向き合わないと稼げないし、いろんな人に迷惑もかける。自分の活動の方向性を決める機会になりましたよ」
Q:自分の活動の方向性とは?
「クリーンに活動することです。良い結果を求めるには、クリーンに動くべきだとはっきり分かりました。とにかく、事務所時代の経験で、音楽が嫌になるどころか、逆に音楽に対する気持ちが強まりましたよ」


番外編:ここがヘンだよタクチャまん① バナナマンのコントを聞きながら作曲



Q:バナナマンのコントを聞きながら作曲できるの?
「できますよ。頭の中がいい具合にリフレッシュします。あと曲が完成した時も、曲とコントを同時に流してます」
Q:ちょっと何を言ってるのかワカラナイ...
「作った曲とコントを同時に流して、ボーカルをバナナマンの声に照らし合わせて、埋もれてないかをチェックしてるんですよ。コントの音にボーカルが隠れるようじゃダメ。作り直しです。ちなみに良い気分じゃないと作曲できないから、10曲制作に着手したとしたら完成するのは3曲ほど。その中でも人に聞かせられるのは1曲。あんまり作れてないです」


ちなみにこの作曲作業において、学生時代の吹奏楽部での経験が大いに参考になっているという。
「曲作りでは吹奏楽経験は本当に役に立ってます。吹奏楽の各楽器は役割が決まってるんですよね。例えばホルンはメロディとは逆の動きだったりします。(注釈:「逆の動き」とはメロディが高音から低音に演奏しているときに、低音から高音へと演奏すること)あと、クラリネットの細かい演奏がちょこまかしてる感じに思えて面白かった。そういう音楽の構成についてを学んだことが、今の曲作りの基礎になってますね」


ここがヘンだよタクチャまん② 1年中短パンを履く

都内某所での取材時(2015年4月8日)は4月とは思えない真冬並みの寒さであったが、彼はやっぱり短パンスタイルであった。

Q:なんで短パンなの?
「気分の問題です。フットワークが軽い気分というか、何か開放的な気持ちになるんです。そういう気分だと活動的になれますからね」
Q:タクチャまんにとって短パンはやる気スイッチのような要素?
「ゲン担ぎの気持ちで履いてますけどね。何かのイベントとかでユニフォーム着ると気分が引き締まる時ってありますよね?まさにあれです。僕にとっては短パンがその役割。人と会うときは短パンが多いですね」
Q:人と会う時は短パンですか。じゃあ冠婚葬祭も短パン?
「そんなわけないでしょ」


ここがヘンだよタクチャまん③ いつまでも冷めない音楽への情熱


冷めない情熱というものは決してヘンではない。むしろ憧れすらある。しかし、日々の忙しさに追われ、好きなものに情熱を注ぐことができなくなる事が多くなってゆく。タクチャまん氏も普段は物流会社に勤務しているが、月に4〜5回のDJプレイや作曲活動は欠かさない。

Q:なぜ、音楽活動を続けることができるのか?
「音楽が楽しいからです。どんなに忙しくてもやめるという選択肢は浮かばなかったんです。とにかく音楽が面白くて、音楽から離れる暇がなかったんです」

彼の周りの音楽仲間も、時間の経過とともに自然と熱が下がっていく事が多いという。しかしタクチャまん氏は熱は冷めていない。むしろもっと欲しいと言う。

「今でもJ-popやレゲエ、ヒップホップとかいろいろ常時チェックしてます。自分にとって音楽を続けることは自然な行為なんです」


DJプレイのある日のタクチャまん氏のスケジュール

10:00 起床。趣味の食虫植物の植え替えや配置換え、家庭菜園の手入れなど
12:00 昼食
15:00 今夜のクラブで流す曲を何にしようかと焦り出す。頭の中で音楽を流し、プレイリストを漠然と組み立てる。
20:00 プレイリストを作り上げ、遅刻気味に出発
22:00 会場到着。準備、リハーサル


▲リハーサル中のワンシーン。ちなみにDJ仲間のパソコンはMac派が圧倒的に多いが、人と違うスタンスを好む彼のパソコンはWindows。

23:00 クラブ開始。クラブによって違うが、だいたい持ち時間は30分を2ラウンド。例えば24:00〜24:30と27:30〜28:00の演奏をこなすといった具合である。会場の客と楽しみながら、会場の雰囲気を掴む。この雰囲気によって急遽プレイリストを変更することもあるのだとか。


▲プレイ中のワンシーン

プレイ 自分の出番が近づけばソワソワする。プレイ10分前に急いで曲を変えることもあれば、演奏中に修正することもある。
05:00 クラブ終了。撤収作業。
06:00 解散。タクチャまん氏は打ち上げには行かずに帰る派
08:00 茨城到着。近くのラーメン山岡家へラーメンを食べて〆るのがお約束。

▲山岡家ヘビーユーザーでもあるタクチャまん氏。サービス券もあっという間に溜まってしまう。


Q:最後に、これからの目標とかはある?
「目標のアーティストが居ます。South Rakkas Crew(サウスラッカスクルー)です。進化したレゲエのような感じで、いろんなジャンルとクロスオーバーしてる感じがするんですよ。レゲエが土台になってね。一曲ごとにインパクトがあるんですよ。彼等にすごく可能性を感じる。すごく面白い。だから目標なんです。自分もいつか、一曲でもガツンとくる音楽が作りたいですね」


〜おわり〜



こんな生きざまのタクチャまん氏に聞く:やりたい事があるけど行動に踏み出せない。どうすればいい?
「そのやりたい事をイメージしてみて「これならできるな」と思えるかどうかが大切だと思います。経験なくても、できるなって思ったら「できます」って言っちゃえばいいと思いますよ。もしくは、できると思ってやってみるのもおすすめです。僕も軽音楽部時代にドラム経験ないけどやれそうに思えたから「できる」って言っちゃったし、DJだって出来るんじゃね?って思ってやりはじめたらできちゃったし。とにかく悪い場合の予測はしないことだと思います」

(写真/タクチャまん、イラスト・文章/齋藤洋一)

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