2015年4月16日木曜日

第1回:お寺にアリスの世界を作ったお坊さん

身近な人々の生きざまから人生のヒントを探りたいと思い、
今回このブログ「身近な人の生きざま論」を立ち上げました。

素人の僕が思いつきではじめたこの企画、
手探りでやってますゆえ、足りない部分は勉強しながら
やっていきたいと思ってます。


その記念すべき第1回は丹羽崇元(にわそうげん)氏。1984年生まれ。
彼は、お寺に不思議の国のアリスの世界を作ってしまったお坊さん。
今回は、そんな彼の生きざま論に迫ってみます。

▲これがお寺の中に作ったアリスの世界(2014年1月撮影)

既成概念を壊したい人や、
新しい事に挑戦したい人のヒントになれば良いと思います。


〜忙しい人のための、丹羽氏の生きざま論 3要点まとめ〜

「プレッシャーは広い世界を知るほど消えていく。"重圧"は自分自身が創った見えない敵」
様々な人の和に入り広い価値観を学ぶ。真面目すぎると重圧を真正面から受けることになる。上手に受けるには、時にバカになるのがベスト。

「自分が大切にする芯の部分は曲げてはいけない」
挫折しそうな時は、他人のせいにせず自身の勉強不足だと思うようにした。その上で、現状における最優先の課題は何かということを常に考え、実践していくことが必要。

「型を破るには、まず型を知らなければならない」
まず当たり前を学び、次に当たり前を疑い、壊す。そして再び当たり前に戻る。目的は、捨てることが出来ない本当に大切なものを見つけるため。



それでは、丹羽氏の生きざまを見ていきます。



001 / 006:子供の頃から「将来はお坊さんになる」と思っていた。
お寺の家の長男として生まれた丹羽氏は、幼稚園の頃から僧侶になりたいと思っていた。
家が職場であり、職場が家という環境も大きい。更に長男であったため跡継ぎとして育てられたので、子供といえどもお寺での役割もあった。

そのため、「自分はお坊さんになるんだな」「早くお坊さんになりたい」
という思いが自然と芽生えた。


002 / 006:プレッシャーを感じはじめた学生時代
子供心には、お寺が何をする場所かよく分からなかったという。
躾や食事のルールが厳しかったが、それらはお坊さんが人に見られる職業であるためだということを、大人になってから気付いた。

更に、お坊さんという職業はオンとオフの違いが不明確であり、
人に見られる仕事上、常に気を張っていないといけないと感じる。

大学進学はもちろん仏教系大学と決められており、これが重圧に拍車をかける。
「もし、できなかったらどうなるんだろうか」という不安が頭をよぎる。
大学受験の時はとてつもなくドキドキしていた。


そのような重圧はどのように乗り越えたのか?
「プレッシャーや重圧は、友達や他分野の様々な人々の和に入る事で、解消されました。悩みがバカバカしいと感じるように思えたんです」

同時にオンとオフを実感。常に自然体でいることが、もっともストレスレス。
様々な世界を知ることで、狭い世界観から広い世界観を得られる。
物事に対し、いろんな見方ができると学ぶ。
「また、時にふざけたり思いっ切りバカになることが、自分を保つことや重圧から逃れる手段であるとも学びました」


003 / 006:仏教系大学に進学。2年の過酷な修行学生寮→2年の奔放一人暮らし
高校卒業後、都内の仏教系大学に進学。
最初の2年間は学生寮で暮らす。しかしその生活は想像よりもハードなものであった。

入寮初日、いきなり食堂に集められて、全ての所作や立ち振舞を叩き込まれる。
45度の礼の姿勢のまま、先輩のOKが出るまで脂汗が出ようが維持しつづける事もした。
頭髪は3ミリ以下という決まりや、早朝から坐禅や掃除などを行うスケジュール。
そうして朝修行を行ってから大学へ行くという生活であった。
「正直言って、早くやめたいと思ってましたよ;」
Q:キツかった?
「キツかった!」

本当は学生寮を1年で出て行くつもりだったが、結局2年住んだ。
その理由は、先輩から「自分が学んだ事を後輩に教えることが出来てようやく一人前だ」と教わったためだという。人に教える事も勉強であるということを学んだという。

Q:そういえば、何故そんなに厳しい学生寮に入ったの?
「安いからです(笑)。大学から補助金が出る関係で、世田谷の8畳2人部屋で家賃は相場の3分の1ほど。信じられないくらいの値段でした。何より、いろんな事を覚えたり、仲間が出来たのがよかったです」

大学3年時には学生寮を出て一人暮らし。
2年間の"修行"学生寮時代の反動から、様々なことにチャレンジした。
髪の毛を伸ばし髪を染め、様々なアルバイトをし、洒落たカフェめぐりをしたり。
「今しか出来ないことをしようと思いました。バイトしてお金貯めて、よく旅に出たりもしました」

とにかく、大学時代は半分は修行生活、半分は大学生らしい生活をしていた。

かりあげクン風マンガ「そうげんクン」
 ▲(注意)丹羽氏本人の意向により作成しています。丹羽氏本人および関係者への侮辱等の意志はありません。そして、植田まさし先生ごめんなさい!

004 / 006:大学卒業後は永平寺へ3年8ヶ月の修行に入る。苛酷さは学生寮の比じゃない!

大学卒業後は福井県にある大本山永平寺に上山(入山)。
「就活はしませんでした。だから友達からすごく羨ましがられたりもして。卒業後、学生寮時代の仲間と共に永平寺に上山しました。しかし、そこの苛酷さは学生寮とは比べ物になりませんでした。進撃の巨人の訓練所みたいなところでしたよ〜!」
と笑いながら語る丹羽氏。しかしその苛酷さには凄まじい印象を受ける。

まず、はじめのうち話せる言葉は「はい」「いいえ」のみ。それ以外は許されない。
一日のスケジュールはもちろん、目線や仕草も全て決められている。
寝る場所も、最初は雑魚寝。年数を重ねると個室が与えられる。スーパー縦社会であったという。
「あまりのピラミッド縦社会っぷりに、旧日本陸軍が参考にしたとも…。各人の個性や価値観、考え方すべてを潰される生活だった」

「修行中は、はじめ何人かの班に分かれて行動するわけですが、班員内でも要領の良い人悪い人がいるんです。それで班員の誰かが粗相をすると班員全員の連帯責任になります。すると仲間たちは、お互いを助け合って行動するようになりましたね」

食事は量も栄養も少ない精進料理で、脚気になる者が出るほどの過酷な状況。
そういう状況では精神が削られる。自分だけご飯を多くよそったり、ズルしたりする者が出てきたりもした。

Q:丹羽さんはそういうズルはした?
「してないですよ!しないしない。精神的に苦しくて、そういうズルしたいと思うこともあったけど、やれば人間を失うと思ってましたから。また、つらい時がずっと続くわけじゃないと分かってたから…、あとはとにかく仲間を絶対裏切らないという思いだけでしたね」

学生時代の寮時代の経験を活かし、仲間と励ましあった。
また"プレッシャーや重圧を回避するには外の世界を知る"という教訓も活かした。

Q:閉鎖空間で正しい判断能力を保つにはどうしていたのか?
「常に外の世界を意識していました。自分が今いる世界だけが価値観のすべてではないと意識していました」

修行も2年目に入ると、後輩ができる。
その際、先輩から教わったことを自分で考え、正しいと思ったことを教えるようにしていた。もちろん縦社会でそんな事をすれば、先輩から目をつけられ怒られたりする。
しかし丹羽氏はスタイルを貫き通した。
上が間違っていたら、自分なりに考えて、お寺や後輩のためになることを心がけた。
自分の芯は変えたくなかったのである。

「はっきりいって、ドラえもんのスネオキャラで生きるほうが楽ですよ。反発に立ち向かうって結構体力と精神を使うから。実は僕も一度スネオキャラにした事があったけど、心に負担があってすぐやめたんです。自分が大切にする芯の部分は曲げてはいけないんだと感じました」

「まあ、個人的にはドラえもんに出てくるスネオ"は"好きですけどね(笑)」



005 / 006:福井の永平寺から静岡の実家までの約340kmを歩いて帰還

 ▲この格好で340kmを歩き抜いた。

永平寺の修行で自分なりの答を見つけた丹羽氏。入山から3年半後のある日、修行を終え下山する決意をする。
その際、両親や仲間、檀家さん(特定のお寺に所属して寄付などを行っている人)など様々な人への感謝の気持ちが芽生えたという。それらの重みを感じるため、福井・永平寺から実家の静岡・一乗寺まで歩いて帰ることを決意。
その距離なんと340km。ざっくり言えば、東京〜名古屋間くらいの距離。
丹羽氏は2週間かけて上記の画像の格好で歩いていったという。


「他の修行僧さん達は新幹線で帰ったりするのが一般的ですが、僕は変わり者なので歩き。8:30くらいに歩きはじめ、だいたい18:00くらいまでずっと歩きました。夜ですが、最初は野宿して帰ろうと思ってましたが、10月下旬ということもあり、外は危険と判断して安宿や修行時代の仲間のお寺に泊めてもらったりしました」

「格好が格好だったので、駅前通りなどを歩いていると子供から「三蔵法師だ!」と言われたり。大人の人は訝(いぶか)しげでしたね。おじいちゃんおばあちゃんには拝まれたり、時には呼び止められてお経をあげたりもしました」

名古屋ではトラックの運転手さんに「キミ、そんな格好で何してんの?」と呼び止められ、悩み事相談も受けた。

トラック運転手「…それで結局、永平寺では一体何を学んだの?」
丹羽氏「いろいろありますが、ひとことで言うなら"捨てること"です」
トラック運転手「捨てること?」
丹羽氏「はい。お山は何かを得るための場所ではなく、捨てるための場所。堕落した心や生身の自分を捨てて再構築する場所。恥ずかしさも常識も捨てる場所だと学びました」

トラック運転手は非常に納得してくれたようで、そのことがとても嬉しかったという。



006 / 006:前代未聞!お寺に不思議の国のアリスの世界を作る?!

▲アリスルーム内観。

丹羽氏は大学時代にカフェめぐりをしていた事も影響してか、人々が楽しんで集える空間というものに興味があったという。
「永平寺の修行時代は自分の時間なんて無いですから、頭の中でやりたい事が日々積もっていきました。修行を終えて、やりたい事を実現したいという想いが常にありました」

実は彼は大学時代は美術部に所属し、2014年には静岡で個展を開くほどのアーティストでもある。先の修行中においても創作活動は行っており、僅かな休憩時間などを使って永平寺の建物の写生を行っていた。
「子供でも楽しめるような何かをお寺に作りたいと思ってました。やりたいこと、つくりたいことは頭の中にいろいろありました。けど、すぐにはやらなかった」
なぜ、すぐにはやらなかったのか。
「修行から戻ってきたばかりで職場である洞慶院の仕事が分かっていない。新しいことを行うにはまず基本を知ることが重要だと思ったんです」
丹羽氏の実家は一乗寺というお寺だが、洞慶院は師匠のお寺。洞慶院には監寺(かんす)とよばれる住職の身の回りの補佐や施設維持管理を行う立場で住み込みで働いている。

「僕がやりたいことは、子供から大人まで、誰もがホッとできるような空間をつくること。具体的にはアルプスの少女ハイジのあの巨大なブランコを作ったり、絵本の世界のような可愛いモノに囲まれた世界を境内に作る。つまりお寺とは真逆の世界。いきなり取り組めばいろんな人から反発される。まずは仕事を一人前にこなす事が優先と思ったからですね」
大真面目にハイジのブランコを作りたいと語る丹羽氏。壮大な夢である。
それでも、お寺の型を学ぶため2年間はひたすら基本を学び、新しいことはやらなかった。
「型を破るには、まず型を知ることが大切だと思います」

↑アリスルーム外観。外観は普通のお寺。

Q:お寺にアリスの国の部屋(以下アリスルーム)を作りはじめたきっかけは?
「ある時、お寺に女性2人組が来て、お寺でカフェをやりたいという要望を受けまして。それで 寺かふぇkonoyo を開催したところ、ご年配の方からお子さんまで幅広い年齢層の方が来てくれました。この時に“お寺で楽しめる空間を作れば年齢に関係なく人々が来て下さる”と可能性を感じました。これがきっかけですね」

お寺に、普段あまり使われていない部屋があり、そこをアリスルームにしようと考えた丹羽氏。最初は椅子とテーブルだけだったが、そこから本棚と絵本が加わり、可愛い雑貨、おもちゃ、テント、天蓋カーテン、芝生カーペットなどなど、お寺らしからぬアリスワールドが作られた。これらは全て丹羽氏の私物である。
「最初はまわりのお坊さんから白い目で見られました。「アイツは何をやってんだ!」って感じです。洞慶院にお墓を持つ檀家さんにも当初はへんな顔されました。けど、そうした方にアリスルームを利用してもらったり、同業者の方には設営のお手伝いをお願いしたら理解してくれました」

アリスルームを作ってから、以前よりも子供連れの方が多くお寺に来るようになった。
「以前は、お爺さんのお墓参りに一人で来ていたけど、最近では孫がお寺に行きたい!と言って、今では孫達と一緒に来ています」という年配の女性も現われた。また、近隣の子どもたちがアリスルームに行き、勉強をはじめるという光景も見られるようになった。
丹羽氏の作ったアリスルームは着実に地域に根ざしていると言える。

アリスルームは出来る限り常に開放しており、入場は無料。ルームに足跡帳を設置すると子どもたちから「楽しい」「おもしろい」といった意見が多く寄せられた。

Q:なぜアリスルームを作ったの?
「子供が楽しめる場所や大人がほっこりできる場所を作りたかったんです。お寺に何が必要かを自分で考えたことがあって。自分の固定観念を壊し、捨てることが出来ない芯まで考えを削ぎ落した結果、子どもやご年配の方々など、世代を問わず誰もがホッとできる空間が必要だと感じました。だからアリスルームを作ったんです」

お坊さんは、お葬式のときだけの役割ではないという想い。
空間を無料で開放することで、お金だけが価値観のすべてではない豊かさのバリエーションを子どもたちに教えたいという想い。
人間は何でもない何かによって、絶望から救われるのではないかという想い。
お寺をきっかけに、思いもよらない出会いが生まれてほしいという想い。
それらの思いが複雑に交わった結果、アリスルームが産まれたのだと彼は言う。
宗教とは勧誘されるものではなく、自らアクションを起こし信じるものだと思う。皆さんが魅力を感じてお寺に来てくれるのはすごく嬉しい。だから皆さんに親しまれ自然と足が運ぶようなお寺でありたいと思っています」

Q:最後に、最終的な目標は?
「お寺が人生の交差点のような役割を持つことです。アリスルームを通じていろんな人と出会い、沢山の人生のカタチを見ることができました。悩みや不安を抱えた人たちが、心のモヤモヤを捨てることができるように、いつでも扉は開けておきたいと思います。」



〜おわり〜



こんな生きざまの丹羽氏に聞く①:困難にはどうやって取り組むべき?
「確かに人生辛いことが多いです。でも、そんな逆境こそ楽しむべきです。全てが自分にとってガイドであり、与えられた試練なのです。骨折すれば骨が強くなるように、困難を乗り越えた先には強くなった自分がきっといるはずですから。
あと、自分の甘さは素直に受け入れ限界を知ることも大切です。そうすれば乗り越えるべき壁が、自ずと見えてきます」

こんな生きざまの丹羽氏に聞く②:新しいことに挑戦したいけど勇気がない...
思うがままに、とにかくやってみなはれ精神が大切です。水に飛び込む前は、水の冷たさや深さなどいろいろ不安になります。でも、いざその中に飛び込んでしまえば、そのドキドキは自然と落ち着くものです。"今"という言葉は、一瞬で"過去"になります。人が反対するような事ほどむしろチャレンジしましょう。ただし、やるからにはとことんやる。中途半端はダメ。やり続けないと分からないことって必ずありますからね」



(写真・イラスト・文章:齋藤洋一、写真・編集:丹羽崇元)


洞慶院
http://www.tokeiin.jp/

寺かふぇkonoyo
http://teracafe.eshizuoka.jp/c26994.html

0 件のコメント:

コメントを投稿